少年は青々とした葉をつける大きな樹に登り、砂利道の上で横に突き出た枝に腰を下ろし、脚をブラブラさせながら優しかった姉を思い浮かべていた。
下には石ころがそこら中に転がっている砂利道に車体をグラグラ揺らしながら見慣れない水色の車が通って行ったのを眺めていた。
◇◆◇
ミーンミーンとうるさい蝉の声が車内の助手席に座る綾香をいらつかせていた。
「綾香、もうすぐ着くからな」と運転していた父親は、娘の綾香に限らず家族の機嫌が悪い時には、いつも気遣う神経質な正孝は努めて明るい声で言った。シートの背もたれにぐったり背中を預けて不服そうに座っていて、ツインテールの後頭部が擦れていた。
後部座席には一ヶ月分の荷物が積まれていて、車が揺れる度に跳ねて、時々落ちそうになっていた。正孝と綾香は今、祖母が住む山あいの村に向かっていた。小学校六年生の夏休みを、こんな山の中で過ごすことになった。こうなったのも、父と二人で夏休みを過ごしたいと思っていた母の気まぐれの所為だ。それは夏休みが始まる一週間前のことだった。
綾香の昨年の夏休みは、母方の祖父母の実家に預けられたが、そこは名古屋で都会だった為、母の長兄の娘の従姉たちと毎日のようにゲームセンターやボーリング場に入り浸っていて、従姉の小中学校の先生に補導されて、一週間で自宅に帰されてしまった事で、今回は父方の祖母の秋田の田舎に預けられる事になったのだ。
◇◆◇
「今年の夏休みは、お祖母ちゃん家(ち)で過ごそうか?」
母は祖母からの電話を切って早々綾香にそう切り出し「お祖母ちゃんは、足腰の具合が悪いみたいでね。部屋の片付けとか農作業が大変なんだって」と言った。
「えー、綾香が行くの?」と言いながら本心は正直、行きたくなかった。夏休みは小学校の友達と遊びたい。不服そうな返事をした彼女に、母はあっさりと言った。
「じゃなくて、綾香だけで行くのよ」
「えっ!? 何で?」と綾香は母の言葉に耳を疑った。
母は変わらず淡々と「だって、パパもママもお仕事だし。一ヶ月、めーいっぱい居られるのは綾香だけだから」と答えた。
母には全く悪びれる様子はなく、突然告げられた綾香は堪ったものではなかったので「そんな急に、しかも小学校最後の夏休みを全部、お祖母ちゃん家(ち)で過ごすの!?毎回の夏休みを。なんでママは勝手に決めちゃうの?」と綾香が怒った。
そんな事も全く気にせず、母は高らかに笑いながら「中学校に入ったら、部活が忙しくなるからお祖母ちゃんの家に夏休み中行く事なんて出来なくなるでしょ、今回の夏休みがそういう意味では最後だから」と言った。
綾香は中学校に入ったら部活をやるつもりだったが、よく覚えてない祖母の家で夏休みが全部終わっちゃうなんて、あんまりだと思っていた。昨年の名古屋だったらまだ遊ぶところもいっぱいあったけど、秋田県のド田舎だからだ。
「まぁ、そんなに悲しむなよ。お祖母ちゃんは、綾香が遊びに行くのを楽しみにしているみたいだからさ」と父が初めて口を開いた。
――つづく。