コンデジ持ってブラブラ 私の日常&非日常

独断と偏見の個人的な備忘録ですので、読み飛ばして下さい

藤井君と言い、大谷君と言い、秀でている方々の意見や生き方を拝見するとそれだけで恥ずかしくなってしまう私です。


棋聖戦五番勝負で渡辺明名人を破り、初防衛を果たした藤井聡太棋聖。これにより、史上最年少のタイトル防衛と九段昇段も達成したが、当の本人はそうした記録にはあまり興味がない様子。その裏には、どんな思いがあるのか。AERA 2021年7月19日号で取材した。


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 2005年。渡辺は竜王2期の昇段規定をクリアし、史上最年少21歳7カ月で九段になった。


「それが破られると、自分が持っている最年少系の記録は全滅します」


 渡辺は自身のブログにそう記していた。皮肉にも渡辺は藤井に敗れ、記録更新を許した。


 改めて藤井が達成した史上最年少記録について確認してみよう。藤井は16年、14歳で史上最年少四段。20年、17歳で史上最年少タイトル挑戦・獲得を達成。18歳で王位を奪取し史上最年少二冠。タイトル通算2期で史上最年少八段。そして今回棋聖位を防衛し、18歳で史上最年少タイトル防衛。さらにはタイトル通算3期で史上最年少九段となった。


 段位は将棋界における実績を表す。難関の奨励会(棋士養成機関)を抜けると新人四段。順位戦で棋界トップ10のA級に昇級すれば八段となる。「A級八段」は戦後ずっと一流棋士の代名詞だった。加藤一二三九段(81)が18歳という途方もない若さでA級八段になったときには「神武以来の天才」と称賛された。


 九段ともなれば功成り名遂げた大家だ。30歳前後で八段に昇段し、その後は規定のタイトル数を獲得するか、あるいは250勝をあげれば九段に昇段する。そこまで達成できれば棋士としては大成功者と言ってよい。


 時代が進むにつれ、昇段条件は増え、若干ゆるやかになった。それでも藤井が達成したタイトル2期八段、3期九段は厳しい条件である。


 18歳はまだ大学1年の年齢。それが九段となれば、18歳で有名教授になったようなものだ。一般的な段位として、九段の上には何もない。タイトル七つの永世称号を持ち「史上最強」と言われる羽生善治(50)であっても段位は九段だ。藤井はデビュー5年も経たずその階段を上りつめてしまった。14歳四段とともに18歳九段もこの先、破られる可能性はほとんどないだろう。


■受け継がれた求道精神


 記録にあまり興味がないのはなぜか。そんな問いに、藤井はこう答えた。


「結果ばかりを求めていると、逆にそれが出ないときにモチベーションを維持するのが難しくなってしまうのかな、というふうにも思っているので。結果よりも内容を重視して、やっぱり一局指すごとに改善していけるところというのが新たに見つかるものかな、と思うので。やっぱりそれをモチベーションにしてやっていきたいというふうに思っています」


 さらに続けてこう言った。


「これまで公式戦で200局以上あったかと思うんですけど、その中でも完璧に指せたな、という将棋は一局もないですし。自分が強くなることで、いままで見たことのないような局面にも出合えるかなというふうにも思っているので。強くなることでやっぱりそういった、いままでと違う景色を見ることができたらな、というふうには思っています」


 将棋史上最高の天才かもしれない藤井にして、この謙虚さがある。筆者は木村義雄十四世名人の言葉を思い出した。藤井の師弟関係を上にたどっていくと、4代前には木村の名がある。木村は著書『勝負の世界』にこんな言葉を残している。


「私はこれまで、おそらく1300番を越える公開対局をやっている。が、その中で『お前が後世に残して恥ずかしくないと思う棋譜は何局あるか?』と尋ねられると、私は残念ながら一局もないと断言せざるを得ない」


 木村の求道者精神は、時を経て藤井に受け継がれたと言ってよさそうだ。木村は戦前から戦後にかけて無敵を誇り「常勝将軍」と呼ばれた。玄孫弟子の藤井は間違いなく新時代の覇者となる。それは約束された未来であって、あとは時間の問題に過ぎない。ただしそれは、藤井にとっては興味のない話だろう。


 藤井はこのあと、王位戦七番勝負の防衛戦が続く。さらには叡王戦五番勝負での挑戦も控えている。王位戦第1局では苦手の豊島将之竜王・叡王(31)に完敗した。藤井はここからどう巻き返していくのか。豊島は高い壁であり続けるのか。そしてまた、新たな名局は生まれるのか。ファンの興味は尽きずに続いていく。(ライター・松本博文)


※AERA 2021年7月19日号より抜粋